はあちゅう主義。研究

はあちゅう主義。研究

概要

はあちゅう主義。というブログにおいて書かれた「2006年02月18日付:小娘が何か言ってますというエントリにおいて、ブロガー達の反発を招いた。はあちゅうのこのエントリを分析することによって、ブロガー、あるいは揉め事の類型学が導きだされることが注目される。

内容

はあちゅう氏のエントリは実はたいしたことは無かったのではないか?

 上記のエントリはそれほど反応する必要は無かったのではないか、という指摘がある。例えばこれらのエントリを改変した「コピペ」が出回った理由がその証拠として挙げられている。また、メタ批評の一種として「これは若い人が陥りやすいエントリであり、本来ならば、これはスルーされるべき類のものであった」という批評も行われている。確かに冷静に見てみれば解るように、このエントリ自体は、特にたいしたことのないもののようにも見える。しかし、だとしたならば、なおさら、なぜこのエントリがあれほどまでに批判されたのかという疑問が残る。

ネタネタとして扱われないという問題

 関連してid:nisemono_san氏の説によれば「これはネタだったのではないか?」という説が挙げられている。つまり、ギャグとして、笑いを誘うものとして書かれたのではないか、という説である。このエントリを注意深く見ると理解できるように、誇張が頻繁に出てきている。誇張というレトリックは、ネタ関係のブログに散乱される記述であり、実際、はあちゅう氏のブログにおいては、自虐めいた表現や、あるいはちょっと笑いを誘うような表現が頻発している。これに絡めて、nisemono_san氏は次のように述べる。

基本的に、このような誇張が許されるのは自虐ネタならびに揉め事当事者におけるDIS合戦のときであり、この方法を他人及び政治に適応してしまった場合、大きな反発が出てくる可能性が強くなる。それは当事者において笑えないものであったりするためであり、現実問題としてネタブログがこの延長上で、何かしらの政治批判をしてしまった場合、炎上してしまう確立が高いのはそのせいだともいえよう。

と話しているという。即ち、この揉め事はむしろ「若者」「ネット右翼」という側面からではなく、「ネタブログ」全般におけるありがちな炎上の仕方として類型化できないか?という疑問である。事実、過去のテキストサイトでは『残鉄剣』というサイトにおいて、同じような炎上を繰り返していたことをnisemono_san氏は指摘している。

謙虚が謙虚として通用しないという問題

 エチケットペーパーとは、主に突っ込み回避に書く注意書きであり、実際にはあちゅう氏は上記のエントリで見られるように、エチケットペーパーを敷いている。例えば

書いてて思ったけど、私の意見って、世間知らずで勉強不足の意見だと思うのね。(しかも、まとまってないし。)

 と書かれている。自分の意見が、勉強不足から来ているということを率直に認めているが、しかしこれらの注意書きにもかかわらず、反感を買った。その理由として考えられるのは、

  1. 謙虚が謙虚として認められなかった
  2. ブックマーカーが単語だけに反応した
  3. 謙虚は認めないとする立場

 の三つが考えられる。一つ目は明らかに謙虚が表面的であるという見方である。確かに、エントリを見ると断言口調が多く、謙虚という割には余りにも迷いが無いようにも見受けられる。二つ目はブックマーカーの反応が余りにも注意にかけていたものであり、「非国民」「人間力」などの単語に反応して反発を招くケースだろう。実際、ブロガーは余りのブログを読みこなさなければいけないために、往々にして読みが雑になる場合が多い。また三つ目は謙虚を排除した読み方を意図的に行っているという見方である。つまり、謙虚は決してその論証が雑であることを正当化する手段ではないとする見方である。恐らく、どれが主でどれが副次的かという問題ではなく、上記の三つが複合的に絡み合ったとする見方が正しいであろう。

NGワードとしての「人間力

 先ず一つ目に付くのは、「人間力」という言葉だろう。最近では関連して、『若者の人間力を高めるための国民運動』が批判されたこともある。しかし、「人間力」という言葉がなぜ批判を受けるのか。それには次のような立場があるだろう。

  1. フーコーによる「人間」という囲い込み批判の継承
  2. 人間力」が実質何も表していないという批判

1に関しては、はてなユーザーの傾向かもしれないが、例えば「非モテ」などの理論の形成において「差別論」という形式をとる場合があるし、また文系ブロガーというように揶揄されることから、このようなフーコーの理論の継承があるということは指摘されよう。フーコーに関しては『監獄の歴史』か、あるいは新書で適当なフーコー解説本を買ってきていただければ幸いだが、簡単に説明するならば、「『人間』っていえばなんでも誉めた気になってんじゃねーよウゼー」ということであり、また「人間」という形式を通じて排除が繰り返されてきたということになろう。また、2に関してはそのままであり、「人間力」という言葉は、何かを説明しているようで説明していないことが多い。実際に、上記のエントリで見れば理解できるように「人間力」とは具体的に何か?ということが問われていない。

続き:準備中

  • 対処の仕方
  • 炎上しても読者は増えない